県鰹鮪漁協 三鬼楠好さん、山本弘隆さん、星合徳雄さん、臼井明さん
聞き手/編者:元三重大学水産学部教授 内藤一郎氏
遠洋漁業の最盛期は昭和33~40年頃で、当時は100余隻あった。その内マグロ専業船は約4割(37隻)で、残り6割(63隻)は兼業船だった。兼業船の操業形態は、4~10月迄がカツオ漁、11~3月はマグロ漁と周年操業だった。
編者:カツオに重点を置かれていたようですが。
そう、マグロはカツオの裏作みたいな存在だった。マグロの専業が始まったのは、一部では昭和20年代の後半からで、圧倒的に多くなり、大型化しだしたのは33年頃だったか、船型は300~390t型中心であり、搭載母船式(キャッチャーボート2~4隻搭載)のマグロ漁業を行う船主もあった。殆どが鋼船だが、カツオ兼業船は木船もあった。
その当時(昭和33年)、組合所属は、90隻台、平均総t数は200t台だった。
その頃はインドマグロをジャワ沖で操業したのと、東へもソロモン経由でハワイ沖まで、30年代の初めは東太平洋のカルフォルニア湾、メキシコ沖まで行った。
私は、36年に南アフリカの喜望峰まで行ったことがある。
私は、34年に大手の宝幸水産に入社して40年迄いたが、全盛期は38~40年だった。この頃は大手各社が三崎を中心にフル稼働した。
編者:いわゆる漁権の相場も、その辺がピークだったのですか?
漁権なんかは売り買いするものではない、と水産庁はよく叱りよったが、一番高かったのは確か1t230万円だったかな。ペルーの軍艦を沈めた時がありましたね。今から12年前ですよ。昭和62、63年頃ですか、その時が一番高かった筈です。ペルーの潜水艦を沈める事になったのは、私の親戚の船です。それを230万で処分したと聞いております。3隻のマグロ船を…それで東海4県の所得のベスト10に入りました。合計して1,200tです。個人経営だったから税金で半分ぐらいそっくり持って行かれましたが。
編者:減船でとも補償の話が出たのは、何年のことでしたか?
カツオ船は、平成3年。そのときに、マグロ船も買上げて貰った。
減船は供給過剰の問題があったからだ。B-1対策として、経営内容も悪くなってきたし…。
昭和55年に海外巻網(以下海巻)転換で県内船2隻、56年に同じく1隻計3隻が組合に現存している。この当時カツオ竿釣船が年間で平均1,000tの水揚げがあり、海巻に1隻転換してもいいよと。ところが水産庁の考え方は「竿釣は平均して1,000tだから、5隻なら5,000tですよ、海巻の生産量は年間平均3,000tであり転換すればカツオ2,000tの減産になるわけだから、海巻船を造らしてもよいのではないか。」と言うのです。
ところがそれを実行したのだが、結果的には法改正等があって、今の海巻は3,000tどころではない、もっと獲れている。だから、もっと比率を上げなければいけなかったのです。さらに言えば、廃業したカツオ竿釣船は実際には700~800tしか獲らなかった漁獲数量の少ない船なんですよ。ですから、減産どころか何も変っていなかったのです。
マグロ漁船も過去に1回、昭和56年、2割減船があり、本県は2割に相当する6隻を減船した。それから2回目の2割減船が、57年に同じく本県9隻に当たるとも補償減船だった。今回のマグロ2割減船は国主導型の減船ですから、以前とは異なります。やはり直接の動機は、経営の悪化(値段の低落)にあったようです。
編者:カツオのB-1問題を教えて下さい。
B-1とは、ブラインの1級品という意味です。
当初のブラインは生食用ではなく、加工向けだった。冷凍機の発達によって製法が向上して一時、空気凍結でカツオを持ってきたり、次ぎに塩カルでカツオを持ってきて、それを生食用に向けたという過程を踏んで、B-1に到達したカツオが、いま皆さんが賞味して戴いているカツオのたたきになっているわけです。
今では、B-1カツオ一本で普及しております。
何t以上を釣ってはいけない、という取り決めがあるのです。B-1はそれまでのt数ですよと。それ以上になってくると、過剰になって値崩れを起こすから…。
420t積める船で、一航海300tに決めてある。決めに反した場合は、罰金を徴収することにしている。水揚されるから、隠しようがない。
編者:しかしB-1はよいが、金がかかる欠点もあるでしょう。
B-1は金はかかるが、保冷温度そのものが違うのだ、-50℃以下だから、普通のブラインなら-30℃迄ですから…-50℃以下だと管理が大変なんですよ。
B-1は国内だけの製品だから、外国は真似のできないことだから…やって行けるのですよ。
外国が何故、真似できないか、いや真似しないのか…は、まず活きた餌イワシを使うこと、これでダメなんです。彼等はその技術が真似できないのですから、これは日本だけの特技ですよ。
ところがマグロ船は冷凍の餌でしょう、誰でもできるから台湾、韓国、インドネシアは皆、マグロですよ。ですからカツオは将来性はありますよ、マグロ船は今、世界に1,700隻も浮いているのですから、多難ですよ。
編者:マグロの餌は何を使っているのですか?
サンマだったのが、いまはイカが主体です。それにムロアジ、サバなどが含まれる。値段は平均して40~50円/尾、1日に2500尾使い、それで成果は20本/日ぐらいか。
釣獲率は1%以下ですよ、いま雑魚を含めて1日1tの水揚げとみてよいでしょう。
平均30kgものとしても30尾ですか、そんな程度です。その中にはカツオやサメなども含めてですから…20本はいい線です。カツオ船から見ると、よくそれだけの漁獲量でやって行けるなぁと思うでしょうが、コンマ以下ですよ。ですが1,700隻が、これだけのものを獲れば当然、枯渇しますよ。
いま一番深刻なことは、カツオ船でもそうですが、天敵は巻網です。網漁業は脅威です。何しろパヤオ巻きといって、流れ藻に集まる幼稚魚まで獲り尽くしてしまうのですから、たまりません。いま水産庁が減船問題を扱っていますね、これが済むと、今度はこの巻網の問題が必ず出て来ます。巻網は日本だけがやっているのではなく、世界中の船が対象ですから…全世界の機構の中で討議して貰わないと解決できないし、これは避けては通れない問題です。米国は既に資源問題として取り上げていますから…。
編者:マグロの資源問題を論ずるなら、まず巻網からということですか?
そうです、商品価値のないものまで一把からげにしていますから、死んでしまう。水産資源を大事にする漁法は、どちらの方法がやさしいか、ということになりますでしょう。
一本釣の方がやさしいに決まってます。また、マグロ延縄も巻網に比べたら比較になりません。それを日本でなく、世界の場で示しなさいというのがその骨子です。それは、お互いが共存共栄して行かなければなりませんから、話合い(幼稚魚採捕の禁止)が必要です。
編者:その話合いは、うまく行っているのですか?
それがなかなかうまく行かない、ご承知のように巻網の先進国は米国、スペイン、フランス、ポルトガル等で、日本とは規模が違うのです。日本は500t以下でしょう。それがあちらは2,000t~3,000tですから太刀打ちはできません。それにヘリを搭載して魚群を探索していますから、格が違います。
最初に始めたのはどの国か知らないが、ポルトガルではないかと思う。フランス、スペインなどは数多く持っている。アメリカのサンディエゴへ行ってご覧なさい、港内は巻網船だらけですよ。大西洋から、もう太平洋へ進出して来ています。元々は大部分は大西洋です、ギニア湾から南北一帯です。赤道を中心にして南北緯に20°の範囲が主漁場でしょう。産卵場所もその中に含まれるから…ギニア湾はアメリカが一定期間禁漁にしてある。だから関係国の間で話合わないと、日本だけでどうする事もできない問題です。
編者:これは200海里の問題ではないから、何等かの取り決めが要りますね、そういう機構はあるのですか?
四つか五つ団体があります。資源管理を協議するアイキャット(ICCAT大西洋マグロ類保存国際委員会)とかICFA(国際水産連合)、IATTC(全米熱帯マグロ類保存委員会)、CCSBT(ミナミマグロ保存委員会)、IOTC(インド洋マグロ類保存委員会)、FAO(国連食料農業機構)などがある。
我々は全廃せよと言っているのではなく、ある期間、またはある区域での操業を見合わせよ、と言っているだけなのだ。
昭和63年8月26日に、三木浦の第8共和丸とペルーの潜水艦パ・コ-チャ号とが衝突して潜水艦は沈没し、船主は保有鮪漁船4隻の内3隻と、権利も売る償いをした。
1隻だけは保険がまだ継続中だったから残すことにして第8清和丸と改名して、チリのアリカ港に寄港している。70何億の請求が来たが、未解決のままである。
相手が沈んだのと、乗組員10名近くが死亡している。犠牲者への補償は済ませたが、艦体そのものの償いは係争中です。何せ米軍の使い古しの昭和19年製のボロ艦船だから、ふっかけもいいところ、交渉は打ち切られた形になっている。
その頃が組合長の言われる漁権の値段が高かった時です。昭和の終りから平成にかけて、大きく変わったというのは乗組員の人手不足です。少子化で外国人雇用に繋がって行ったことです。今は外国人労働者がいなかったら、カツオ・マグロ両船とも経営は成立ちませんよ。彼等の下支えがあればこそ、運営できているのです。マグロ船(400t型)の場合は半々と言いたいが、即に逆転しましたね、乗組員22~23名中、邦人7~8人で約1/3、あと外人で占める。一方、カツオの方は7割は邦人、3割強が外人、30名中、20対10人とみればよい。
釣りは人力に頼るが、自動釣機も5台あるが、思うようには行かない。
400t獲るうち、機械では、20~25tくらいか、機械の利点は大物(40㎏もの)になると威力を発揮する。機械は疲れたと言わないから…(笑)。
それから、収入が違ってきましたね、ここ3、4年で、マグロ船の方が良かった筈なんです。それがどうでしょう、マグロ船はカツオ船の半分にもなりません。昨年、カツオ船の配当金で良い船は一人代で1,000万円、それがマグロでは300万円ですから1/3ですよ。外国人は、固定給にしてある。
私はカツオ船専門です、今はもう兼業船はありません。
昔は許可書が1枚で済んでいましたが、今は許可書が別々になっている。
500t(499t登録)だが、職員の制限があって500tにできないのだ。
カツオの隻数は40隻、全国でこれ以上は増やさないと決められた。乗組員は30名、非常に条件としては、いい環境に保たれているのです。それに引きかえ、マグロ船は全世界で1,700隻もあるのですから、日本は減船後の隻数が533隻と決められている。ところが問題があって、便宜置籍船と称する、全く種々の規制を逃れるために、漁業と何の関係もない国に船籍を置いて、国際規制外で乱獲する現象が起きて大きな社会問題化している。
これは、台湾が主です。その数約300隻余、これを何とか無くさなくてはとしようとしているのです。
編者:この船は、日本で使った古船でしょう。
そうだ、今まで日本で漁船を造ると、古くなったものはスクラップにしていたがスクラップ金額が安いので船主は外国へ輸出した方が高く売れ借入金が少なくてすむので業界として進めて来た。ところが、外国は、その古船を買った台湾や韓国の船主が日本の商社と手を組んで、同じ日本漁船の操業している漁場で操業して、それを商社が買って、日本へ逆輸入する形をとっているから、言ってみれば規格外の闇取引みたいなことになるのだ。それで値段が下がって、パニックに近い状態を起こしている。だから、これからは中古船を外国へ輸出しないことを決めたのだ。
これも元はといえば、我々の撒いた種なんですよ。船を造り変えるにも、サイクルを早くして造り変える、自己資産を充てる、簡単に売れた…戦闘力は何も変わらないのですから…。
台湾は非加盟国だから、規制外なんですよ、なんでもできるのですから、困ったものです。
今、日本に入ってくる刺身(マグロ)の商材は、一時は50万tあった。それが48万tです。今回の減船で45万t位になっている筈です。これを更に協調減船をして、便宣置籍船をなくすことによって、30万代にまで持って行こうと計画している。40万tそこそこまで行けば、適正量に近づくとみています。
編者:適正量とは誰にとってのことですか?
漁業者の経営の成り立つ値段の線としてです。今度、132隻減船をやりましたから、それで便宣置船籍を年内に60隻なくす計画です。その約束ができましたから、ただ、台湾と日本は国交がないから直接できないので、民間主導でやっている。水産庁はオブザーバーである。その上、台湾に対して、世界に散らばっている便宣置籍船を自国に戻す約束まで取り付けてある。
それをやらないと、40万tまでの計画が達成できないのだ。それで戻し集めたら、2割協調減船をしなさい、日本もやったのだから、と迫っているのです。それは便宣置籍船外の自国籍分をですよ。韓国は僅か、中国は今のところ表立っていません。
編者:日本では、刺身の消費量は何万tが限度ですか?
40万tというところでしょう、但しマグロだけですよ。
カツオで2万tはあるでしょう。
編者:ビンチョウ(トンボ)は三重県の主産物でしょう。
カツオ船が釣ってくるトンボ以外に、脂の乗っているトンボは、大西洋北部のニューヨーク沖のものは上物ですよ、トンボは世界の海の何処にでもいる。
何処で産卵して何処で成育するのか判らないが、私は、まだトンボの幼魚というものを見たことがない。
編者:どうしてですかね、カツオ船がトンボを釣るという現象は…。)
ビンチョウの水温帯は、カツオより低い筈だが…。
だけど北海道沖では、カツオもトンボも水温帯は同じですよ。北から南下のトンボ群と、南から北上するカツオ群とが北海道沖で一緒になるようだ。
今の三重県鰹鮪組合の隻数は、カツオ船が11隻+1隻(近鰹)、マグロ船18隻、海巻船が3隻の計33隻が現有勢力です。
ビンチョウのうち、マグロ船が獲ってくるトンボは200円だが、カツオ船のそれは300円以上なんです。ですからマグロ船が獲ってくるトンボは雑物扱いになるのです。
いま、巻網船も何とか値段を上げたいと色々工夫して、P・S商品を造ってカツオ船の一本釣のカツオのような魚として売りたいと。網で巻くものだから網を締めて行くと、水温が上昇して夏期は40℃にもなってしまう。だから身が煮えてしまうのだ…それを醒ますのに放置しておくから真っ黒になるのだ。
マグロ船の場合は、揚がって来た時にはメバチとかキハダの主役は直ぐに締めて凍結するが、カツオやトンボは一番後回しにしか扱われないから、半分は腐ってしまいます。腹ワタを抜くわけではないから、それを加工すると臭います。いわゆるP・Sと称してB‐1に近いものを…別な網で、生きているものだけを取り込んでしまって…。
P・S商品をB‐1カツオと同様に安く売られるものだから、B‐1カツオの魚が連られて値が下がってしまうのだ。
それが彼等の常套手段だから、消費者が両者の区別が判らないのをいいことに消費者の目をごまかしているとしか思えない。
B‐1とP・Sで獲れたカツオの扱いは、スーパーで販売されている時は、ただカツオのたたき、としか表示されていないから、買う方は区別がつかないのだ。今後、店頭販売で販売する時は、差別化が必要と考えている。
私は、カツオ船はまだ光明があるが、マグロ船はこのまま行ったら本当に経営が行き詰まると思いますよ。
今、魚の供給が過剰なんですよ、一方眼に見えて資源が少なくなって来ている。
今までだと、メバチ6割でキハダ4割だったものが、逆転してしまって今は、主役のメバチが2割ですよ、混確率で…だから、それに遊泳層が違うでしょう。キハダが上層で、メバチは下層ですから、それでも資源そのものが世界中で減ってしまった。
南方でも鯨を獲らなくなってから鯨が殖えて、餌を取られてしまうのだ、ミクロネシアでも、カツオの餌持ちがどんどん少なくなってきている。
資源をなんとかしないと、わが国だけの対策では、どうにも解決出来ない事態に立ち至っている。一つは台湾、韓国を中心とした便宣置籍船の廃絶を進める運動、それに商社が絡む商取引の粛正です。三菱商事の台湾からの魚の逆輸入せずとの宣言に、台湾船は泡を喰っています。三菱がやれば、他の商社も連鎖反応を起こすだろうという希望を持っています。
それで、いい方向へ行かないと日本は死んでしまいますから、今が正念場です。水産庁も相当に力を入れてますよ。
編者:水産庁の大義名分は、資源問題ですね。
そうです、それを言い出したものだから、もう彼等は反発も何も言えなくなっちゃったんです。日鰹連も呼応して、その一点に絞って実行を迫っています。
編者:すると、日本式の延縄の利点は、大きいものを選択的に獲ることができるということですか。
そういうことです。資源にやさしい漁法はこれですよと、網というのは根こそぎ獲ってしまうから、すぐ枯渇に繋がって行くのです。
一時、水産庁は、釣りや延縄では国際競争に勝てないから効率のよい網に転換したらどうかと奨めた時期もあった。
巻網は、釣りや縄の倍から3倍近い資本を投下しているのだから、これらの情勢を検討した上で、早急な資源を守るための規制を課すべきだと思う。2、3日前にアフリカで墜落した旅客機がありましたね、あのギニア湾あたりが主漁場ですから、それを禁漁区にするなどの規制をすれば、効きますよ。
編者:いまの主な漁場はどこですか?
それは時期によって違います。
大西洋でも英国の北西部、アイスランドに近いところまで行きますから、それが10月、3~4年前にその辺で漁場が発見された。ノ-ルウェイの沖からアイスランドにかけて、N60°でクロマグロの250~300㎏ものが獲れたのです。それにN45°付近のニューヨーク沖10月中旬、赤道直下は周年。
南極近くのミナミマグロは5月~8月にかけて、太平洋でもペルー沖は7、8月から秋にかけて、赤道直下は年中だし、インド洋でも同様です。地中海は厳しいので撤退した。
今は、200海里の規制が施かれているから、やりたければカネを払ってやらせて貰うしかない。それは何処ででも行われている。低開発国ほど入りやすいのは当然です。
カツオは、オーストラリア、ニュージーランドまで出かけて行きます。片道16~17日かかるが…現地で売りたいが買ってくれない。
アイルランド沖は高知の船が発見したと聞いている。
三重は、後追い組である。ブラジル沖へも行きたいが、うるさいので入れない、寄港も補給もさせてくれない。地中海の最盛期が4~6月、ここでは下手をすると牢屋へぶち込まれるから怖い。
日鰹連が喜望峰に基地を持っているので、そこから餌などの補給を受ける。ラスパルマスには各社の出先がある。本国からの運搬船も出ていて、洋上補給も行われている。
今、世界では漁獲量は過剰の状態にある。カツオは競争相手がなく、規制が守られているから好い環境にあるが、問題はマグロだ。今のところ巻網が脅威なので、資源保護の施策を早急に整備して、実行に移して貰いたい、ということを強調しておいて貰いたい。今後の遠洋漁業の課題はここにある。一定のルールの中でやって貰わないと困る。
魚の数と、船の数が合わないということですよ。撒いた種は謙虚に反省している。買い戻して解体処分することで窮状打開の途を求めたい。台湾も自分の船で、食べて行ってほしいと思う。
編者寸言
マッカーサーラインの撤廃を契機とした鰹鮪漁業の発展は、本当に目ざましいものがありました。そして、それは単に漁業にとどまらず、漁船の増大・更新をもたらし、日本経済復興の引き金になったことは、(他の漁業も同じですが、特に顕著)忘却するわけにはいきません。
私は漁船の法定耐用年数の見直し問題が生じたとき、それまでの特別償却を標準耐用年数の短縮化に折込むことについて、大蔵省との接渉にかかわったことがあります。そのときは現在のような問題が起きるとは全く予想もしませんでした。いかに近視鏡的だったか、長期的な眼で物を見ることの困難を今更ながら痛感しました。
しかし、お話を伺って、その客観的な自惚れも自虐もない見方に感心してしまいました。漁業の経営には情熱と冷静さを併せもつことが不可欠なのですね。