礫浦漁協 中村祐司さん、上野靖さん
聞き手/編者:元三重大学水産学部教授 内藤一郎氏
私は昭和46年に、1年ハマチ養殖をやっていた。その後ハマチとタイの兼業は禁じられたので、47年にはタイに切替えた。そこで、ハマチ組とタイ組ができた。46年にはタイの試験養殖ということで、2~3枠テストしていた。私は陸勤めをしていたが、もう1人の方と共に46年にハマチを養殖していて、タイに切替えたのです。
47年からのタイは始めてで、九州の牛深辺りから天然魚を入れた。その当時、2年もので500g、大きいものは3年もので800g~1㎏のタイを仕入れた。小張には2,000~2,500尾収容、(6m×6m)、現在は3,500尾入っている。
私は、32年頃から真珠養殖を始めて、47年にタイに切替えた。46年に贄浦の富栄水産が、タイの稚魚を持ってきた。その秋に6名3経営体が試験的に1,000尾と5,000尾を入れ始めた。しかし、漁場が狭いから兼業は相成らんというから、1年でハマチをやめて、タイに切替えたんです。
タイは当時、養殖研究会の組織で始まって、それが協議会に名前を変えて、その時に会則(昭和47年11月25日付)も作った。
タイ養殖のスタートは46年で、県内でもうちとこが一番早い方だと思う。ハマチは38年に視察に行ったから、39年頃だと思う。
真珠は、30何軒かの業者だけでやっていて、漁協としては母貝育成が主体だ(32年頃から約200人)真珠養殖は、昭和27~28年で、その時は9軒だったか、32年頃から増えてきて、やろうとしても3台分しか真珠免許を貰えなくなった。その時に9軒が33~34軒に増えたと思う。
真珠が始まる前は遠洋が華でして、乗組員も多かった。それに地曳網と一本釣です。つまり、遠洋漁船に乗組んでいた方達や、沿岸の小漁に携わる人々が、真珠が良くなってきて、真珠養殖や母貝養殖を始め、その頃から養殖漁村になったわけです。41~43年で母貝業者が、いなくなってしまった。母貝が売れなくなったから、やめたんです。それから、ハマチ養殖が増えてきて、47年からタイが始まった。
それに、皆が生活を依存していました、元々、ここには鰹釣用の餌を採る船曳網業者が6軒ほどあって、真珠が始まったために船曳きができなくなってしまった。それとは別に煮干や鰹節業者がいたけれども、そういう人達がみな、真珠養殖へ転向して行ったんです。
そういう人達は、地曳網の漁場を潰すから真珠筏を7~9台持つようになった。
その代わり、漁業から転向する人には3台しか与えない決めがあって、新規は2台、継続は4台、転向は3台と決められていました。
暫く養殖していたら寄生虫(ポリキータ)に罹って、死滅が多くなってきたから、早めに見切りを付けて、39年頃からハマチに切替え、稚魚捕りから始まった。これは礫浦の普通の形態ですよ。
昔は、この湾の沖で獲れよったんですが、だんだん量が多くなってきたから、遥か沖へ出ないと獲れんようになった。ここでは稚魚を飼って20gぐらいのものは他所へ売ったものです。県外からも買いに来た。
編者:ハマチがあまり長く続かなかった原因は何ですか。
漁場が狭いというのではなく、全国的にハマチが広がって、価格が安くなってしまった事でしょう。
特に、63年度はTBTO問題などもあって、廃業に追い込まれた者もいます。
あの時は痛かった。51年頃迄は苦労しました。私達は47年から販売にかかったんだが、買い手が無いんですよ、ハマチは順調にいっていたが、タイは大きくしても、何処へ売っていいのか判らんので、組合にしても漁連にしか頼れないんですよ。ですから、自分達で色々販売先の開拓しましたよ。51年頃は苦労しました。
当時のタイの養殖魚は、今の魚のように色も出ないし、うちの場合は三重大のK先生に指導を受けていました。このタイの稚魚が安いから、というので買うとチダイだったということもありました。当時の心配事は、斃死ではなく、色です。天草あたりの稚魚を買うと、100g100円でした。2年もので500gというと大きく見えた。その500gを買ってきて、こちらで1㎏にすると、1,500円で売れた。それが50gで2,000円までいったことがあったのぅ。着色も先生の指導の中で、東北のサバかアジを与えて肉質だけは自慢できるものを作れということで、他所で宣伝して戴いて結構買い手があったんです。1.5㎏(3年以上)で2,500円にまで行った事もある。
礫浦のタイは色が良くて肉質がよい、という事で一時、評判になったことがある。ところが養殖業者がだんだん増えてきて、ハマチの餌にはイワシをやっていたんですが、価格的にすごく違うんです。中にタイの餌にも1人2人イワシをやる者が出てきたんです。すると共同出荷ですから、その人に合わせてまで高い餌をやりたくない、ということで共同出荷が崩れ始めた。ですから礫浦のタイが売れたのは、ほん僅かの間だけだった。
先見のある人は早めに切上げたんだが、僕等は最後まで居残ったから悪い事ばかり掴まされて、当時、エドワード病という風土病的なものが蔓延しまして、奄美で育てたタイ(稚魚)を買い取ったところ、色はいいのだが、病気に弱くて、頭を悩ましていました。南島にも多く広まったが、仕入れた稚魚が水温が高くて死滅した事もあった。ぽつぽつ死ぬんで、まああんまりいい商売じゃあないんです。
何処の県でも同じと思うが、ハマチをやっている人は、僕等と余り歳が違わない者が多く高齢化していく。ハマチはタイに比べて労働過重(アブコ採捕等)だから、タイに移ってしまったのです。だからタイの値段は下がっています。
当組合も、ハマチは昭和52~55年ぐらいまでは55名いて、当時は3名組でないと、うまく経営できなかった。その時は、タイは30~35名がやっていて、歳をとると皆、タイへ移った。それでハマチは現在4名しかいない、タイは養殖が18、種苗が4、計22名です。一時は42名もいたことがあった。
組合では、57年迄タイの天然ものを入れていたが、58年から徐々に近大の人口種苗に切替え、その後61年には全部、人工に切替えた。早い者は57年から人工ものを入れ、迫間浦は早くて51年から入れていた。
これは成長がいいんです。天然ものを買うと、先方も当然、選別して出すから、良いところで買うと、その割合で成長も良いが、当たりが悪いと、大きいのは自分達で使い、小さいものを出すから、こちらでの成長が悪くなる。
天然ものは色は良いが、大きくならないんです。色の良いのは最後まで伸びが遅い。むしろ黒っぽいものがグングン伸びる。初心者はそれが判らないから、そういう種を掴まされる。ですから、私達も何回か現地で買付けしたが、この家のものでないと信用出来ないと決めていましたね。
餌料は天然では増肉計数が悪いんで、直ぐに人工に切り替えた。モイストと生餌の混合に切替えた。
現在、養殖経営は1人ずつです。開始当事は組で経営してたんです。経験不足や資金を借りるにしても複数の方が何かと便利だったから、2~4名が組みになってスタートしたんです。
当初は当年魚のハマチ養殖だけで、2年ものを持たせなかった。南島が2年魚のハマチで商売しよるから、そちらへ回すためにも、その方が好都合だったんでしょう。とにかく今一番、組合長が頭を悩ますのは、魚価が安くて魚が売れないから、餌代にも困っていることです。
ハマチは57年から生餌をやめてモイスト(ペレット)に切替えたから…。
ハマチが嫌われたのは、餌が生だったんですね。カタクチを使っても脂でベタベタになって、55年頃やったな、共同作業の中でモイストを使うようになったのは、始めは生餌と混ぜて使ったりもしたが、今では全部モイストでやっています。投薬する時は、モイストでないと駄目だったから、自然にモイストに変わっていった。一時、固形飼料もやっていたが、全てモイストに変わりました。
47年当時は、タイの餌料については、まだマイワシが揚がらんかったから冷凍サバを解凍するやり方を知らず、天日に干して溶かしよった。当時はミンチも無かった。だから配合飼料を混ぜてやりよった。
ハマチ養殖は、先も言ったようにグループを組んで、稚魚を採りに沖へ出ている間は、家内達が出会いで働く。タイの場合は1人では仕事ができんのさ、そやで夫婦が揃わんと仕事にならなかった。
今は給餌機があるから、その心配は無い。昔は1日中、枠に付いていた。
当時は、ハマチについては、63年までは種魚として南島へ供給していた。その中で、TBTO問題が起こって南島の業者が倒れて行った。だから、2年魚としての種魚の需要が無くなったから、或程度、活魚出荷で活路を見出そうとした。そうすると尾数が限られてきます。
平成2年には、ハマチは10名ぐらいでやっていた。それが5年には5名に減ってしまった。今はアブコを10万尾飼うわけで、斃死がでて7万5千尾に減った。そのくらいが活魚出荷として適当な数量だった。それ以上養うと、3年魚にしなければならなくなるから、無理がくる。
タイについては、25~30万尾の年間出荷の中で、注文に応じてサイズ別にセレクトして、量としては余り多く出さないようにしている。附加価値を付けながら、他所が700円の時には、活かして800円で出す。2割高くらいの差を付けて販売するようにしている。
高齢化もあって、私のところは2年魚が20万を切る。去年は26万ぐらいしたんが、初め私のところで決めていた値段は900円だったが、500尾以上買うから800円に頼むという業者が出てきて、800円に付けてしてもうて。ただし、今年の2年魚を販売する場合は、300以上買ってくれるのなら50円引きとした。
3年魚に関しては2年魚と同じなんだが、以前にも800円にしたことがあったから、500以上買ってくれるなら800円にしましょうとした。それを現在、売出しています。うちと迫間浦がよく似た相場で、南勢町としても礫浦が一番高いのだそうです。南島辺りへ行くと700円が通り相場ですが。原則は、地元渡しでトラックで取りに来て貰うが、船の場合は届ける時もある。その場合の費用はサービスとなる。正直に言って、餌をやるのと労力は別として、トントンでしょうね。だから、大きくしなければ損だという気持ちがある。大きくしても餌代が掛かるから、それでも700円で出していることろもあるんです。南島辺りでは巻網でイワシが揚がるから、餌代としてコストダウンできる。去年から餌を控えて少なくしたら、空腹になるから奪い合いになり、魚体が擦れるから傷が多くなる。ハマチは3.5㎏もので1,100円(1,300円から下げた)ですが、天然魚のツバスが安く揚がっているでしょう、だからその相場でないと買い手が無いんです。ハマチに関しては絶対量が少ないから、経営体も少なく、何とか持ち堪えられる。
編者:礫浦としては、これでうまく釣り合っているんですね。
これも自然の成行きですよ。まず、後継者が居ないんです。だから縮小せざるを得ないと思う。労力は私が組合長をやっていた当時からみれば、半分以下でしょうね。餌は来たものを買うでしょう。機械に入れれば独りでに出てくるし、11時頃に洗いに行けば、それで終わるのですから。それを昔は餌を溶かして、ミンチにかけてモイストにして、大体1個で300円ぐらいの手間賃になると思います。それを1日に30個作ると9000円になるから。だからそれが労費だと思えば出来るのだが、もう、それはやりたくないんです。若い人達ではやっている人もいますが。後継者の問題は、むしろお嫁さんに来て頂ける様な環境を作ることが大事かと思います。
養殖業者でも、独身者が10名ほどいるが、この地元の娘さんがいないのです。
隣の迫間浦は、若い者を1度他所へ出すんです。そこで妻帯してここへ戻るんです。何故かと言うと、あそこは土地(田畑)がありますから、受け入れやすいのです。ところが、ここはその土地が無いから、やり様がないのです。もともとここは女の人に好かれるタイプの者が少ないのでは。娘さんによう物を言わん、アタック精神に欠けるな。真面目なんだが、性格が堅すぎるように思う。
僻地やで、嫁に来にくい事もあるんやろう。見合いによう申し込まんのな。機会は作れ作れと言っとるが、やっても出ようとせんのさ。また、他所で勤めていて、嫁を貰って実家へ戻っても、漁業への関心は薄いわな。
昔は親戚から親戚へ嫁に行くのはあったのに、この頃は、もう女の子が地元に居付かなくなったんだから…。
何かにつけ、漁業が敬遠されていることは間違い無い。この頃の娘さんは、生臭い魚の匂いなんか嫌がるのは無理もないわな。うちの孫なんかも、匂いがするなどと言いよるがな。
昔は奥さんは養殖業を手伝ったが、今はここで育った娘は櫓も漕げないのに、他所からの嫁さんの方が漕げるのです。
単なる遊びで来る人と、一生住む覚悟で来てくれる人とでは気持ちの持ちようが違うでな。
婦人会などの運動会で、大体3/4は他所から来た人ですよ。地元の顔見知りは少なくなりました。こういう風潮なんでしょうね。
それと、漁業・養殖業は誰でも直ぐに出来るというものではないから、その辺りに隘路があるのかもしれんな。
編者:養殖業は、価格が安いから低迷気味ですが、これから先、どういう方向にもって行けば良いのでしょうか
景気が良くならないのがこたえますわな…。
鳥羽から南にかけて観光客が減っていますよ、半分以下でしょう。そのために需要関係が狂ってしまって売れない。旅館も何も九州のものを買ってくる必要は無いのですよ。モイストを使うようになってから肉質は格段に良くなりましたから、ハマチでもタイでも…。
シマアジ、トラフグをやってみたが、量的にまとまらない。マスをやってみたが、夏場は不明の病気に罹って、ひっくり返ってしまうので扱い難い。大きくなってからでも半数以上が死んで行く。試験場はクエ、ハタを薦めてくれるが、難しいとみている。
そうなんです。南勢町だけで養殖しているのと違うから、九州から静岡までの管内で、大体、よく似た同士がやっているので、一寸良いとなると皆、それに集中してしまって悪くしてしまう。タイの場合でも、天然魚は3年経たないと売れなかったものが、もう、2年魚で結構売れるんですね。
もう、1年半で出荷するものまで出てきている。タイについても量販店で捌いて、刺身にして安値で売っとるけれども、価格の維持は難しいことや。
タイというと、尾と頭が付いていて別扱いだから、言ってみれば家庭向きではなかった物が、一般向けになってきている。
たまに息子達の家にタイを持参して行っても、文化包丁で卸してくれと言うのだから…。魚用の包丁が無いんですよ。
ハマチ養殖についても、天然種苗の中で、その時に採捕しないと需要が無くなるという事もあって、この頃カンパチが1,100円から1,200円の同値で取引きされている。そうすると韓国からの輸入物におされて、今ハマチも養殖量は少ないが、伸び悩みの状態にある。カンパチは日持ちが良いから、2日ぐらいは持ち堪えられる。私としては、タイよりハマチの方が美味しいと思っている、脂が乗って、この頃では養殖物でも赤みがさして艶が良い。
昔は養殖魚にはどれも独特の匂いがあったが、今は昔ほど匂いは感じられなくなっている。ハマチもタイも、匂いに関しては天然物との区別が難しくなっています。
編者:先程、タイの値段が800円でトントンと仰っていましたが、ハマチはどの程度と見て良いのでしょうか。
ハマチは1,100円か。一時は3年ものが800円で合うという時もあったが。昔は1.5㎏のタイが1枚4,000円で売れよった。しかし、今しは1.5㎏もので1,200円や。昔は餌も安かったもん、儲かったわけです。
それには養殖方法の差もありましてね、当時は20×20尺で、深さが7mの筏へ1,800以上入れたらいかん、ということで始めたんやが、今では多い時には4,000入れますからね、密殖ですよ。これが皆さんは当然と思っている人が多いんじゃないですかね。斃死率も多くなるし、病気も増えて自滅なんですが。僕等は当初、斃死は5%でも多いとみていたんだが、現在では2割ですよ。それだけ見とかんと合わないんです。変形その他の異常も含めての話だが。同じ魚種を1ヵ所に長く養うといかんから、場所を変えると変化してくると思う。しかし、空いている魚場が無いから、難しいことだな。
これだけタイの値段が下がった中で、熱心にやろうとする意欲が失われていることと、長い経験の中で他人の動向に無関心になってしまうのさ。例えば、あの人がこうしているから、自分もそうしてみようかという意気込みというか、熱心さが無くなってきているのが気掛りですよ。
思うに、共同出荷やっている中で、同じ稚魚で同じ餌を使いながら、色の違いが出てくるのですよ、その原因が判りません。色が良いと客が喜ぶでしょう。次ぎにまた来てくれるでしょう。個人的には何か違いがあるのではないかと言うのだが、本人等は一緒で、何も変わりは無いと言う。栄養剤投与の違いかもしれないという気もする。僅かのことで差が出るのかもしれない。個人的に成績の良くない人は、毎年良くないようです。
これから1人1経営体の形の中で、例えば魚種の選択とか、個々の経営の努力だとか、それぞれ持っている色々な質的な違いの中で、それからまた、後継者も居なくなるという中で、どうしても単位としては小さくならざるを得ないし、そういう面からこれから経営のしかたの幅は、かなり広がってきていきます。
そういう中で、競争原理を導入して、かつてのような漁協まる抱えというのではなく、漁協は何等かのサポートをするような、漁協と個別経営との間に新しい関係を作って行かなければならないのではないかと思いますが。
編者寸言
遠洋漁船の乗組から真珠養殖、母貝養殖、ハマチ養殖、タイ養殖という変化の系譜は漁村としての時代への対応力の大きさを物語っています。
現在、輸入魚や景気後退の問題など社会の大きな変化の過程の中にあって、他の漁業に比べ、、経営の自律的選択がものを言う魚類養殖は、その自律さ故に競争原理とまともに激突にしてはなりません。
どこかで新魚種、新商品、新技術など画期的対応策を打って、一時的な勝利を誇っても、たちまち平準化してしまう。積極的に勝負するか、経済的に緊急避難するか、いづれにしても、これまでの対応の経験が結論をもたらすでしょう。
私は最後に頼りになるのは、地元の海が持っている生産力(酸素供給や分解能力など)を保つことだと思っているのですが。地先の海に適合した魚種と養殖量を適格に選択することで、質の高い製品を低いコストで長期にわたって保持する、これは云うは易く行うは難いことですけど。