津市漁協 小林正文さん
聞き手/編者:元三重大学水産学部教授 内藤一郎氏
私は8人兄弟の四男で、学校を出て会社勤めをしましたが、家業の水産加工(煮干、干物)が忙しくなったため、辞めて加工を手伝いました。仕事に馴れると漁業に興味が湧き、父からノリ養殖を始める許しを得て、昭和45年頃から採貝業も含めて一人立ちをしたのです。それから間もなく、父、兄が他界したので加工業は廃業しました。
ノリ養殖は加工の仲間と一緒に始め、幸い煮干場跡をノリの加工場として使い、スタートしたのです。私が始めたのは遅い方で、その時が最多で65名ですが、15年程前40名に減り、その頃、気心の知れた一人と協業、再スタートしました。
養殖の作業は、大別して管理と加工に分けられます。
協業は、二人が夫婦で両作業に従事しますが、沖では多忙でも陸上の加工に移ると、少し手隙きができます。全自動機が導入されたのは昭和60年頃で、機械は二人分要るが、私達は標準の1台よりやや大きめのを使いました。
お陰で順調に共同経営として、10年ほど続き儲けさせて貰いましたが、相手の都合により解消したんですが、その精算は、私が機械のローン残金を返済する代わりに、彼の養殖に関わる物権全てを譲り受けることで落着しました。
想えば協業の難しさは、互いに気遣いが重なってきて気苦労が重荷になることにあるようです。
独立してからの粗生産は自分の場合、平均200万枚で7円の計算として1,400万円になります。県内では津が一番安いらしく、最高で13円、せめて10円の品を作りたいと思います。加工作業にはパート1名を雇います。
漁場は贄崎浦一帯で、岸寄りは支柱張り、沖出しは1,500m沖の浮流式で約4,000柵使用します。品質は一概には言えないが、色、艶、伸びは浮流しの方がよい。ところが味や柔らかさになると若い芽は支柱の方がよいが、何回か摘んでいると逆に沖の方がよくなってきます。どちらかといえば業務用は沖の方が品質が揃うから喜ばれます。
話題を変えて、副業としての採貝業を考えてみると、これはノリの裏作としても切っても切れない収入源なんです。
これもノリと同じ彼と、同一期間協業しました。相手は熟練の漁師だし、私は新米だったので技能が未熟で、彼の半分も採れなかったが、それでも彼は気前よく協力してくれて、漁獲物を折半して精算してくれていました。毎回夫婦で乗船し、共同作業をするうちに私も次第に彼に追い付き、均等割りが不自然でなくなりました。漁具は鋤簾(ジョレン)を使い、アサリを腰まで浸って歩行しながら掻き取る、1名、腰巻きという漁法で、漁場は岩田川口が主です。ところが仲良く長い間一緒に続けてきましたが、彼の奥さんの都合により協業を解消することになりました。
編者:いま、後継者不足は大きな問題になっていますが、お宅の事情はどうですか?
うちは駄目ですね、進学すると、どうしても自分の希望する方向に固執するから、家業を継ぐという気持になれないのです。家内も言うのですが、休日などに手伝わすと一番仕事の苦しい時に駆り出されるわけだから、こんな仕事はしたくないと後継ぎを嫌うことになるわけです。冬休みは最盛期の忙しいときですから歓迎されません。多分私一代で終わりです。
編者:全体を通して、ご希望ご意見がありましたら,どうぞお願いします。
私の場合、養殖だけだと苦しいが、採貝があるからなんとか救われているので、ノリ養殖を続けられる条件としては、貝も底辺を支えるだけの生産が揚がることが要件になります。
私達は自然の豊凶には耐えられるが、河口堰や空港建設のように、急に起る変化にはなかなか対応しきれませんから困るのです。
それから、漁場行使の有効利用をもっと真剣に検討して欲しいと思う。いま、漁業を継いでくれる人を募集してみると、かなり集まるという話も聞きますが、私は自由にやりたい人があれば、やらせてやりたい、このままでは自分達も早晩、やれなくなるのだから…。
漁場利用の自由化の方は考えてもよいのではないでしょうか。私有化はいけないが、賃貸は全ていかんとは言えないと思うし、本気になって養殖業をやる場合には、空いているところは使って貰ってよいと思います。
編者寸言
私はこのような大型の機械、多額の資金がなくても、昔のように人手を中心とした範囲の、いろいろな家業の一つとして「固定費が少なく、大きな得を得なくても、損することが小さい、損益分岐点が低い」養殖のありかたを模索していたのです(アサリとの組み合せもその一例)が、小林さんのお話を伺って、機械化が私の考えよりはるかにうまく進んでいることを知り、大変勉強になりました。
しかし加工過程での製品の均一化や多様なニーズへの対応などがますます重要な条件になると、個々のノリ作りから独立した、大加工施設を擁し販売を念頭においた別組織も考えなくてはならないでしょう。漁業者にとっての得失もよく考えて。