三重県津市にある「みえぎょれん」のサイトです。「みえぎょれん」や三重の海の紹介、お魚を使った料理レシピも掲載してます。

伊勢市漁協 三宅安治さん、浜口惣七さん

聞き手/編者:元三重大学水産学部教授 内藤一郎氏

三重県 浜の声:小型底曳網漁業

底びき網には幾つか種別はありますが、同じ漁に出ていて、操業は夜間が主です。日没1時間前から5時頃帰港、朝市は6時半から開く。冬場、アカエビ(サルエビ)ですと活魚にして蓄養する。死魚は抜き取らんといかん(鮮魚と活魚では値段が違う)ので、その選別がいる。ですからサルエビの量が多い時には、現場を2時半には網揚げして3時半から選別作業にかかり、活魚は3㎏入り、死魚は4㎏入りのパックに収める。活魚は大きいものは料理屋向け、小さいのは釣用餌に廻る。大きさも制限していて、餌用は3cm以上としている。

統数は25隻ですが、病欠者がいて24隻です。漁獲共済にも加入している。まめ板網は、8~9月伊勢湾の酸欠があって、それが過ぎるとサルエビの小型が出てきて、今から1月中頃で販売可能となる、越年して4~5月に終漁する。エビの夏場の操業はない。

漁法は周年まめ板で、これは瀬戸内海から移入されたもので、それまでは備前網といって、竹竿で網を固定して曳きよった。37~38年頃でしたか、三重大学のM先生にご指導を受けた。

編者:板の方が良いことは、初めから判っていたのですか?

10竹ですと、前を遮ってしまうから、魚が逃げてしまう。三重県は底びきについてはエンジンの規模に問題があった。27~30年頃は、自動車の中古品を取付けていて、クラッチも改造せずに足踏式で使っていた。馬力階層別の操業区域はなくなった(平成2~3年)。25馬力の横板がなくなったことで、苦労したんだが、あれは桃取の組合長が、夜間の取締りで事故死された事件があって、それから鳥羽地区の要望が強く出てきた。

南限線は、山田の東灯柱と愛知の野島灯台を結ぶ線であったのを、伊勢市の樫原新田から野島を結ぶ線に変更した(0.6里カミへ寄せられた)。それで30~35馬力以内は、そこで操業してもよいことにした。それだけ操業区域が狭まったわけだ。そこで三重県は自動車エンジンを含めて、全て35馬力に抑えた。

私も、いまのFRPにする前の木船を降したのが昭和33年でした。その前に県の課長名で各個人に、自動車エンジンを据付けていたら底びきの許可を与えないと警告されていたので、新船はダイヤの25馬力にみな変えた。
その後、漁民が悪いのか、メーカーが狡いのか知らないが、「このエンジンやったら25馬力で通ります」ということで、始め30馬力から40、最後は55馬力ぐらいまで売込みしたんです。

今も有瀧は、35馬力以内、10t未満を過給機付けずに操業している。隻数などでも、33年頃にエンジンを25馬力以内にしなければ、ということで許可を貰ったが、55隻あった。今度また、平成3年には31隻に減って、さらに6隻減ったから、いまは25隻です。

県下で馬力制限を一番、守っているのはここだけですよ、ここはまた、貝桁網で曳くマンガ曳きを禁止しているので…。

自動車エンジンは、どうしても傷みが早い、安価だが。県は自動車エンジンが35馬力になった時に、日野のEK100型が6気筒で馬力が大きかったが、それも制限装置を付けて、35馬力に一代限りで認める、とした。有瀧でも4隻がこの特例に与った。

船が速いんですわ、それで、ようトラブルが起こるんですよ。

漁師が他所から船を買うて来ても、ここでは35馬力でなければ認めないように共詮議をしている。他の組合でもそれぞれで申し合せをしている。勿論、村松にもまめ板はありますが、実操業は1隻だけです。貝桁網は共同漁場内でしか使えませんが、どうしても爪で漁場を壊してしまうので、引き廻しは使わず、引き寄せ式しか使いません。一昨年(平成9年)、沖合でアカガイの繁殖があったので、臨時許可を貰って引き廻しで操業しました。

引き廻しは爪の長さが長いのです、浜口さんはヘドロやと言われるが、九共内でそれをやられると、底が掘り起こされて浮泥が溜まって網が曳けないのだ。そうやで、うちの漁師は引き廻し曳きには反対しているのです。その代り、我々まめ板網ではカレイは入らないが、引き廻しでやりますと入りますからね。したがって、ここではカレイの水揚げは少ない。いま獲れているのはアナゴですよ。

編者:引き廻しというのは以前、コックリ型と呼ばれていたもののことですか?

そうです。平成9年12月にアカガイが繁殖して、その時は同じ引き廻しですが、コックリ型の鉄板の短い漁具を、愛知の幡豆一色へ見に行った。有瀧の貝桁もそのコックリ型を使っている。一時、M先生にも来て戴いてコックリ型の指導を受けた。普通のカレイを獲る引き廻しは鉄板が長いでしょう、これは歯を短くしてある。

この漁具は大きさが小さいし、目方がありませんから5丁、6丁と使ったものです。今のものは船の幅だけの桁ですから、大きなものですよ。

自家用餌料曳は最近は桃取が備前網の許可(18隻)と、共同漁場内で操業するエビ曳きの許可を持っている。

桃取の漁場は南限線で操業している、あそこはアカエビが主です。あそこはまた網の目合が22節という小さい目を使っているので、我々は資源保護のためにアナゴなんかも減るから、15節にしている。小さい細いアナゴが遡ってくると、販売しないように制限しています。

アカエビは、伊勢湾の底地の軟らかいところに多い。宮川口、鋼管沖、常滑沖でも獲れる。

編者:アナゴの場合は、海況さえうまくゆけば、ここで産卵するわけではないから何とかなりますか?

アナゴの稚魚のレプト(レプトセファルス)というのですか、あれをバッチ網が、みな獲りますやろう。あれはなかなか珍味で、いい値で売れるらしい。

わしらも昔、船びき網へ乗っていた時に、レプトが混じると値が落ちるので抜くのに苦労しよったものです。いまは、あれを専門に採りに行く者があるそうです。レプトは底にいます。我々から言わせば、バッチ網というのは一番資源に影響する漁業だと思いますよ、レプトだけでなくいろいろな稚魚をみな獲ってしまうから。袋網がもじ網だから、あれから抜けられるものはないわナ…。

船曳きとはいっても底びきの大きい網ですから、マタカでもトラフグの仔でも何でも入ってしまうし。

編者:いまの場所だと、ばっち網と競合しますか?

いや、こちらは夜で、あちらは昼ですからそれはない。

編者:貧酸素の海域はどうですか?

もう魚もいませんから曳きません、南へ移るしかないが、南限線があるからそれを越したら違反になる。もう漁場が狭いから沖へ出るしかない。

今年は酸欠がなくてよいと思っていたら9月15日以降に来ました。この酸欠の潮が来ると、魚は勿論死ぬし、ブンブクまでが浮き上って来る。網揚げたら、あれだけで魚が何もいない。潮の良い時は砂中に潜っていて、酸欠水が来ると苦しがって上って来るのだ。

今年は、水温が高いと言われながら栄養分が少ないので、サルエビなども一向に大きくなりませんナ、いつもの年だと脱皮するたびに大きくなるが、今年は脱皮しても、軟らかくて成長率が悪い。ほかにアサリなども、春から見入りが悪かったのですよ。9~10月末、ノリの種付の頃もそうだった。なぜ、海水にこんなに栄養分がないのだろうかと思いますよ。長良川を堰止めたから、川の栄養分が取られてしまったんと違うかと思うぐらいですよ。

宮川でも発電水は熊野灘へ流して、自然の水の流下量たるや知れたものでしょう。ですから正月に使うシマダノリ(通称、ものづき)といって、東豊浜で採れる石に付くノリがありますが、この採れる区域が宮川でも河口から上流へ移ってしまった。それだけで真水が減っているということになりますか。

買物袋のビニールも、沈殿するのは水温との関係があるのかなァ…。毎年、11、12月になると、我々の底びき網に入ってくる。それまでは案外、入らないからです。1年かかって沈むんか、今の時期は網にマタカが、袋と一緒にかかってきます。毎年、入る時期が11月から12月にかけての頃ですから…海の条件が…温度か塩分か何か知らんが、関わっているように思える。

まあ、ヘドロの関係もあろうかと思うが、伊勢湾も30年代の頃に比べて、夜間操業ですで、いまは靄が降りると海岸の電気の灯が見えませんが、昔は陸の灯や山の見通しで操業しよった。靄で見えんときでも網さえ揚げれば、ここは大体、どこの漁場の沖合か、入ってくる魚種ですぐに場所が判ったもんですよ、それが今は、何処を曳いても同じようにアカガイの殻やら、ヒトデや何らかで変化がありません。

編者:お父さんも昔から底曳をやっておられたんですね。

そうです、昔は帆打瀬でスタートした、33年に造った船も帆を張った。これを40年頃までやって、まめ板の許可を受けて、廃業しました。

漁獲物はワタリガニ、アカエビです。もう、今年からカニの放流はやめると言っている。カニは10cmぐらいまでは宮川のアサリ漁場にいるのだが、それ以上になると、どこへ移動するのか見えなくなる。

まめ板に変ったのは前にもいったが、網口を竹で支えるより、板を使ってくちを拡げる方が効率がよい、というところから来ています。つまり、備前網だと無風になると操業できなくなるが、板曳きなら、いつでもできる利点があったからですよ。

戦後、ワシらは電気着火の10馬力のエンジンだった、昔は2軒で1組を組んで共同でやっていた。それが今は、私は家内と2人で操業している。給与者1人分の収入しかありません。船がFRPに代ったのは昭和51年からで、20年余り横這いですわ、平成9年がよかったんですが、共済とも話合いしたが、今年は1~10月までが63%、11~12月でも80%が78%ぐらいしか行かんだろうとみています。

編者:今は皆さん奥さんと2人乗りですか?

そう、24隻のうち、親子で行っているのが2隻、あとはみな家内組で、2人の合計年齢が100歳未満は僅かしかいない、平均すると120歳、最高は130歳を超えるのが5隻あります。

年間所得は大体1千万円にはなります、ただし粗生産ですから経費を引くと、半分くらいなもんですがね。操業日数は140日ぐらいになりますか。

編者:だけど、底びき以外にも収入はあるでしょう?

私は底びきだけです、他の人はあるかもしれません。ただ、税務署は自家消費を月に何万か見よと言いますのサ、そんな無茶な、と言っているのですが…私のところは金になるものは食べとらんと反論しているのです。それでも言うことを聞きません。

採貝についても言いますよ、月に幾ら、3千円でも5千円でもあるでしょう、と言います。

編者:他で聞いてみたら、共済に殆ど加入していなかったんですが、ここは全員加入ですか?

ええ、全員加入です。

編者:採貝の人はどういう内容ですか。?

アサリです。2通りあって、1つは船上からジョレンで錨を打って、腰ベルトを巻いて掻く。有瀧では、九共内は貝桁網は使わないことに決めてある。八共と九共とではアサリ採りの目合も違いますし、あそこは小さいものを採りますし、こちらは大きくしてある。

編者:アサリだけで、年間の生計が成り立ちますか。?

アサリだけでも、多い人は年間4~500万は稼ぎますから、それに経費が殆どかかりませんから、やって行けるのです。伊勢湾も酸欠さえなければ、アサリの繁殖は望めるのだから、空港問題で漁業振興費名目で何かの施設に金をかけるより、伊勢湾の酸欠問題など、もっと環境整備に配慮した本格的な振興策を考えてくれると有難いのですが…。

この酸欠の時に、バカガイの小さいものやタイラギの死骸などが、たくさん出ました。アサリでもそうです、まだまだ小さい貝が繁殖するんですから、酸欠さえなかったら、今年などもっと水揚げがあった筈です。

マダイの稚魚が、9月の初めに底びきで曳くと何百とよく網に入りますが、酸欠のあとは1匹もおりませんからね。タイラギはここ数年見えなかったのが今年湧いたんです。9月の酸欠が過ぎたら空殻だけが累々として残った。約15cmぐらいのものが…。

編者:ところで、後継ぎの問題はどうですか?

有瀧でもありませんなァ…。

何が嫌なのかというと、まず、収入の低さが最も大きい理由でしょう、それに労働時間が不規則もあります。そのため就労しやすいように労働時間を決めました。つまり、出漁時間を決めたのです。それに催事、祭事などは定休にしてある。それに資源保護のため、スズキやトラフグ漁は昼に出ることにしてある。

そういう努力、配慮はしても、やはりダメです。サラリーマンの収入の方が高いですからネ。我々が学校出たては1ヶ月に靴一足、ジャンバー1着買えなかったものです。初任給で15~16万ですから。ただ漁業者には定年はないのですから、健康でさえあれば働き続けられる利点もあります。

編者:これからは、漁業も少しずつ見直されて来てもいいと思うのですが、この不景気も簡単には収まらないでしょう。

そうです、この不景気が漁業にも響いております、魚価が非常に安いんですよ、例えばスズキなんか市場へ出しても、買い手がないのですよ、昨日でも㎏200円を切っているんですよ、大根1本の値段より安いんですから困ったもんです。
理由はよく判りません。ひと頃、500円台に下ったことはあったが、100円台というのは初めてですわ。

編者:他の漁業との競合は?

我々として困るのは愛知の穴子篭だ。彼等は篭の間隔が長く、ブイが両端しか付けていない。我々が曳いて行くと、ここに入れてあるから避けてくれという。仕方がないから避けて進むが、ああいうものでも掛かってしまうと紐が強いので板へかかっても切れないのだ。だから掛かってしまうと網が動かないから困るんだ。

編者:双方のもめごとは、どうして解決しているのですか

仮に一方的に切ってしまっても、よう反論はしない。お前らここは伊勢湾やぞ、もっと愛知県寄りでやらんか、と叱ってやるのです。

それよりも愛知県の許可証の表示は三重県と違うんですよ、貝桁などでも、ことらは共同漁場内と明記してあるのに、あちらのはただ伊勢湾とあるだけですよ。これでは、こちらにも自由に入って来れると誤解される。

穴子篭なんかでも自由漁業ということで、どんどんこちらへ入っていきますけれども、あれにやられたら、底びきでも曳かれませんでナァ…。いくら自由漁業でも、篭の目合を、もっと制限して小さいものを放すくらいの配慮をしてほしいと思う。

編者:お宅の後継者はどうなっていますか?

いまのところ見込みはありません。ここらも父親が浜へ漁に行っているということで、休みの日に市場へ魚を売りに来てくれる人も、少なくなりました。前は皆、出てきてくれて、わいわい騒いで手伝ってくれたものです。時代が変ったもんです。なぜなら、浜へ来ると、学校で勉強する気がなくなるから、来んでもよい、と言い含めてあるんだそうです。

編者:他所から人を連れて来てでも組合員にはしないのでしょう?

そういう人が、いてくれればよいが、まずありません、これが全部昼ならよいのですが、夜間ですから…。

編者:それでは、ここで一言お願いします。

再三申しあげているように、環境問題に充分ご配慮戴いて、漁業振興策として酸欠の起きない伊勢湾になるよう特段のお力添えをお願いいたします。

編者寸言

私が農林省へ入って間もなく、伊勢湾西岸の漁村を廻ったことがあります。失礼ながら余り立派でないお宅に招かれて、遠慮しいしいお茶を戴いたことがあり、今も忘れられません。本当においしいお茶でした。そのときの話題が自動車エンジンを船に付けたばかりということで、なにか貧しい中に将来への期待が感じられました。

それから50年近く経ちます。そして、底びき網は最も安定的な漁業と言われてきましたが、環境の大きな変化は深刻な状態を生み出しました。具体的には底質の酸欠が指摘されています。他の漁業でも触れたと思いましたが、この機会に三重県、愛知県が一体化して、伊勢湾の環境を保つ組織を確立してほしいです。河口堰や中部国際空港、架橋などの、大きく環境を変えるような問題が山積みする現在、漁業者もそうでない人も、為政者も事業者も、本気になって取り組んでもらいたいものです。

とにかくこれは、ある組合、ある漁協だけのことではなく、伊勢湾全体の、そしてその沿岸域に住む人々の、さらには流入河川、排水路にかかる人々の問題です。